引用
悠斗が穏やかにきいてきた。「なんで謝るんだ?」「わたし …… 」 思わず泣きだしそうになる。動揺を抑えようとしたが、言葉がなにひとつ浮かばない。 沈黙のなか、悠斗の表情が曇りだした。しだいに心情が伝わりつつある、莉子にはそう思えた。「あのさ」悠斗はいいにくそうに告げてきた。「もし僕があんな事態に対処できる経験を積んでれば、真っ先に莉子さんのもとへ駆けつけられたのに。そう思わない日はないよ。今後、探偵として知力も体力も鍛えられれば …… 」「ちがう」莉子はいった。「そんなこと望んでない。男の人っていつもそう。腕っぷしがあるとか、お金持ちで権力があるとか、強さばかり求める。そんな男に女が惹(ひ)かれると思ってる。けど、ちがうんだってば」 悠斗が黙って莉子を見つめてきた。困惑とともに目でたずねてくる、莉子の真意を。 莉子は涙を堪えながら、悠斗に抱きついた。悠斗は動かなかった。莉子の両手のなかで静止していた。 ひどくいたたまれない気持ちばかりが募る。争いがない生き方を選びたい。でもそこに彼を巻きこみたくない。 彼が強くなるのはよいことにちがいなかった。彼がそう望んでいるなら、それは成長なのだろう。探偵の技術としての欺(ぎ)瞞(まん)も、正しいおこないのためなら有効かもしれない。 それでも莉子が一緒にいたかったのは、そういう男性ではなかった。 震える自分の声を莉子はきいた。「好きだったよ。ちょっと優柔不断でも、無邪気でも、いつもやさしくて、弱腰だけど対立とは無縁の悠斗さんが …… 」静寂があった。悠斗の身体の温かさだけが伝わってくる。 視界が涙に揺らぎだした。莉子は泣きだした。まばたきとともに涙が頰をつたうのを感じる。 莉子は喉にからむ声を絞りだした。「わたしたち、ほんとの社会人になれてなかった。こうして成長していくんだね」 悠斗の肩に顔をうずめて、莉子はひたすら泣いた。悠斗の手がそっと莉子を抱いた。彼の身体が小刻みに震えているのを感じる。ふたりで涙を流すのは、きょうが最後だろう。言葉を交わさず、ただ憂愁に沈黙し身をゆだねていたい。別離を経ても友達でありつづけるために。